80年ぶりに里帰りした横浜震災映像

露亜銀行は残った(1) ・・・・ hon010c

「完全に閉ざされた街並み」

本町通りに現存する露亜銀行の震災直後の姿です。このあと太平洋戦争の戦火もくぐり抜け、最後は平成8年まで警友病院別館として使われました。震災前からの建物としては、横浜正金銀行(現・県立博物館)や三井ビル、開港記念会館などに比べてあまり脚光を浴びることはありませんが、私はこの近くに勤めていたこともあり、愛着のある建物です。これらの写真を入手したのも、この写真を見たのがきっかけです。大正10年に建てられたものだそうです。


下は建物の部分の拡大写真です。上の右に載せた現在の写真は、同じアングルと思って撮ったものですが、実はこの写真と方向が90度違っており、この写真の右側面の壁にあたることがわかりました。つまり、この写真で人が歩いているところこそ、本町通りそのものなのです(上の小さな写真では車が走っています)。この建物は西側と南側の外観が同じで、東側と北側(つまり、この写真で写っていない側)は別の顔を持っています。表通りに面していない、したがって他の建物の陰になっている部分は、もっと散文的な表情をしていますが、この震災時の状況と同様、周りのビルが取り除かれた現在は、はしなくもその素顔が露出されています。見たい方はこちら

この写真は本町通りを西から東に向かって見たもので、ほぼ同じ場所から西に向かって見た写真はこちらになります。

このコレクションには、この建物を写した写真がもう一枚あります。次のページに載せてあります。




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