80年ぶりに里帰りした横浜震災映像

山手・谷戸坂上の残骸 ・・・・ yat010p

「住宅地区。横浜」

左上の瓦礫の山はゲーテー座の残骸、右の石垣(ブラフ積み!)は米国海軍病院です。この石垣がちょうど現在の交番の位置と思われます。崩れ落ちている鉄?柵は、上が丸く、特徴のある形をしており(写真ではちょっと見にくいですが)、昔の米国海軍病院の絵葉書に写っているものと同じでした(当たり前!)。キャプションに「住宅地区」とあるのは、写真の右方の谷戸坂が商店地区、その下の山下町がオフィス地区だったことと対比しての表現でしょうか。右は現在の写真です。再建後のゲーテー座は、ひとつ奥に入っていることがわかります。


部分拡大写真
中折れ帽子をかぶり、振り分け荷物を担いだ日本人らしい男性が瓦礫の中で何かを見つけたのでしょうか、先を行く3人に声を掛けているようです。当時のゲーテー座の番地は山手257、256番地です。
外人墓地の方向へ歩く3人。手ぬぐいでほおかぶりした日本人女性のようです。手前の電柱にはローマ字で「WAKAMATSUYA」の文字が見えます。「若松屋」という屋号の商店は、横浜の各所に存在し、この近くでは元町や馬車道通りにもあったようですが、これはどこの若松屋さんの広告なのでしょうか。



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