柏葉のブラフ積みと巨大擁壁


(2003/Mar)
柏葉(かしわば)地区は、山手と鉄砲場(現在の大和町)と根岸競馬場(現・森林公園)の3箇所の中心あたりに位置します。千代崎川の谷戸を中心に、南北の高台に挟まれた土地ですが、横浜港の発展とともに、後方の住宅地として注目されるようになり、高台には大正初期から外国人住宅が建てられ始めたといわれます。また、南側の高台にあるこの柏葉公園あたりには、大正十二年の関東大震災の前後に、埋地大火(大正九年四月、現在の長者町方面を焼いた火災)や大震災の被災者向けに市営住宅が建設されました。しかし、それらの住宅は昭和20年の横浜大空襲ですべて焼失、焼け跡は戦後米軍に接収されました。接収解除後の昭和51年に公園となり、現在に至っています。右端に少しだけ見える遠景は山手です。

(2003/Mar)
この石積みの上に市営住宅が建っていたと思われるのですが、見てのとおり典型的なブラフ積みです。しかもかなり古そうで、大正十年以降というより、もっとずっと前からあったようにも見えます。
 

(2003/Dec)

こちらは、下の平地の北側にある巨大擁壁です。かつては、この擁壁の下を千代崎川が流れ、それに沿って細い旧道が走っていました。現在は川が暗渠化されて自動車がかろうじて通れる程度の裏道となり、このような擁壁がところどころに顔を見せながら、200メートル以上も延々と蛇行しながら続いています。手前の大通りは、昭和に入って軍用道路として造られたものです。なお、この写真中央のバス通りに面した一角は2017年に解体撤去され、住宅用地になりました。

近寄ると、その重量感に圧倒されます。木が繁っているところは二重に擁壁がそびえ立っており、まるで城壁のようです。そんな積み石の間から生え出た雑草を丁寧に抜いて、手入れしているお年寄りがいました。(2005/May)

積み方は正統なブラフ積みでなく、「・- - (トツーツー)積み」です。(2005/May)

かつて下を千代崎川が流れていた頃に使われていた下水口でしょう。(2003/Dec)

一部は、このように上からコンクリートを吹き付けて、石積みと分からないようにされています。(2003/Dec)

麦田への出口。右端の割石積みは大正15年から昭和3年にかけて造られた山手隧道の擁壁です。(2003/Dec)



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