山手・代官坂

山手本通りのちょうど真ん中あたりに位置する代官坂は、古くは「箕輪坂(みのわざか)」と呼ばれ、元町から山手本通りへ上る坂でした。明治の初年、坂上の一帯に土地を持っていたオランダ人篤志家ヘフト氏が、自分の土地を削って道幅を広げたことから、「ヘフト坂」などとも呼ばれていたといいます。

昭和7年に坂の途中に「代官坂トンネル」(正式には「代官隧道」)が開通し、かなりなだらかな感じの坂になりましたが、その脇に残る旧道は、昔日の急坂をしのばせます。右の写真はトンネルの上にあたる代官坂上の様子を山手本通りの東側から西側をながめたところです。


(2004/03)
 
上の写真とほぼ同じところを写した1901〜1923年頃の写真。中央に尖塔が見えるユニオン・チャーチは関東大震災で崩壊後、この写真の手前左端へ移転しました。上の写真の左側に、現在のユニオン・チャーチの教会堂(2003年11月完成)が写っています。
この写真の右下の方に「獅子頭水道栓」が写っています。また、このあたりに大砲がさかさまに埋められていたという古老の話があるのですが、それらしいものが写った写真にはまだお目に掛かったことがありません。
 



現在のユニオン・チャーチが建てられる前に残っていた石積み。ブラフ積みではありませんでしたが、かなり古そうなものでした。
(2003/03)

左からさらに上野町側へ下ったところの石積み。これはまだ残っています。(2003/03)

 


坂上から元町側を見たところ。
(2003/06)

土台は下の方がブラフ積みで、二層に分かれているようにも見えます。震災前後のものでしょうか。
(2003/06)
 
元町側の坂の途中で、たまたま出会った建物を建て替え中の光景。建物の陰に隠れていた、きれいなブラフ積みの擁壁が姿を見せていました。
(2003/06)




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