公園坂下の煉瓦壁


(2002/Apr)
上野町(現4丁目)から山手公園へ登る公園坂の登り口に、古い煉瓦壁が残っています。壁の向こう側は、この写真ではよく見えませんが、坂の階段をはさんで現在は元街小学校です。同小学校用地には明治11年(1878)から震災前頃まで、フランス人の建築家レスカスという人の設計による耐震煉瓦造のドイツ海軍病院(1911年閉院)が建っていたそうです。この壁が、果たしてそれと関係があるのかどうかはわかりません。

(2003/Jan)

煉瓦壁の弱さは関東大震災で証明済みなので、この壁はそれ以前に造られたはずです。造りは橦木町に残っている壁によく似ています。どちらも現在は駐車場の壁になっているのは、何かの因縁でしょうか。


(2003/Jan)

基部は房州石(?)の石積みになっています。昔の地図によると、この位置は妙香寺の寺領と一般民家との境にあたります。そういえば、この積み方は妙香寺の階段脇や墓地の土台にも見られます。

 



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