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山手震災痕めぐり

第10番札所

大丸谷坂の震災地蔵

■撞木町の遺構から急坂をのぼり、再び山手の本通りへ戻りましょう。山上を左に進むと、すぐに山手イタリア山庭園への入り口に出ます。この庭園も山手111番館などと同様に横浜市が観光用に整備した洋館群の1つです。しかし、この園内にある2つの洋館は他から移築したもので、震災とはあまり関係がありません。したがって今回は立ち寄りませんが、進行方向が一緒なので案内板に従い、右手の庭園の方へ折れて進みます。やがて右側の眺望が大きく開けてきます。

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■この鎌の刃のような形をした坂は大丸谷坂(おおまるだにざか)といいます。右手前方の山が第8番札所として紹介した「チェリー・マウント・ヒル」にあたります。そこからこのあたりにかけての谷が大丸谷ということになります。2つの山手トンネルは、この谷を貫いて本牧へ抜けています。左側の山(現在、イタリア山庭園の「ブラフ18番館」のあるところ)には、震災時に英国領事館職員ワデル(D.Waddell)の住まいがありました。ワデル自身は関内の英国領事館で執務中に被災し、建物の倒壊に巻き込まれて殉職しました。また、ここにあった邸宅も火災で焼失したと何かで読みましたが、出典を思い出せません。
■それはともかく、イタリア山庭園入口横の階段から大丸谷坂へ下りて行くと、右側の崖下に、ブラフ積み擁壁を背にして小さなお地蔵さんの祠が2つ建っています。

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■傍らの縁起を記した説明板によると、震災時に石川町の火災から山手へ逃れようとする避難民が殺到し、ここで27人が亡くなったとか。ここはもう山手ではありませんが、現在、山手の丘で関東大震災被災者の鎮魂の祈念碑は他に見当たらないので、ここを山手震災痕巡り最後の第10番札所とします。なお、この案内板にある、避難民が目指した「十三番」とは、坂上のワデル邸があった山手18番の誤伝ではないかと思います。

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■この地蔵尊がまつられた昭和48年は、私からするとそれほど昔のことではありません。その時点で震災から50周年、それからすでに40年が経過していると考えると、関東大震災の意外な「近さ」を感じます。それでいて、再び横浜を襲うかもしれない大地震の惨状は思い浮かべることができません。その想像力の乏しさを補うべく、最後に地蔵尊脇のブラフ積みです。

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■ここからほんの数分下れば、JR石川町駅南口に出ます。電車で帰途に着くもよし、駅構内を川沿いの出口へ抜けて右へ進み、元町の商店街歩きを楽しむのもよいでしょう。それでは、長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。山手震災痕巡り、これでおしまいです。(2013年3月記)
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