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現役の居留地境界石を確認

境界石シリーズ(1)

「居留地界」石 ■幕末に山手に開かれた外国人居留地と日本人居住地の境界を示す「居留地境界石」は、明治32年の居留地制度の撤廃により、その役目を終えました。現在では設置当時の位置に残っているものは皆無と思っていました。しかし、その1つが今もその場所に健在であることがわかりました。

■確認したのは今年(2011年)9月のこと。さる信頼できる筋から情報を得て、西山手の現場を訪れました。 場所は、明治初期の地図を見ても、確かにかつての外国人居留地と日本人居住地の境界にあたります。傾斜地で、当時は谷側が日本人居住地、山側が外国人居留地でした。現在は谷側にも民家が建ち並び、狭い路地を入った奥にあります。近隣の住民以外は立ち入らないような静かな場所です。だからこそ残っていたのかもしれません。

■問題の境界石は、大谷石のブラフ積み擁壁を背に、谷側を向いて立っています。大きさは横24.3cm、縦17.5cm でした。尺貫法でほぼ8寸×6寸になります。L字型側溝の縁石から突き出るように立っており、高さは地上に出ている部分が29.5cm(約1尺)です。ただし、側溝はつい最近整備されたような新しいものです。よく見るとこの境界石を避けて縁石を置き、その部分だけ後からコンクリートできれいにふさいであります。黄色いペイントはその工事のときのものかもしれません。


刻まれた「居留地界」の文字

■右は正面に刻まれた文字の拡大写真です。上の方の文字は風化が進んでいます。しかし、「地」の字ははっきり読み取れます。それを頼りに、部分的に判読できる線をたどると、「居留地界」の文字をトレースできます(写真の上にカーソルを置いてみてください)。

■文字の形の参考に山手資料館の居留地境界石の刻字を隣に示しておきます。現存する居留地境界石は、横浜開港資料館で常設展示されているものと山手資料館(「山手十番館」邸内)に屋外展示されているものの2つが一般に公開されています。それらの寸法も8寸×6寸で今回の境界石と同じです。

境界石の刻字

今回確認した居留地境界石の刻字

山手資料館境界石の刻字

山手資料館の居留地境界石の刻字


右側面

設置時期を探る

■ところが、今回見つかったものは、それらとは大きく異なる点があります。それは、向かって右の側面に「神奈川縣」の文字が刻まれていることです。他の2つには、「居留地界」以外の文字は刻まれていません。また、石の材質も他の2つとは異なります。どうも、今回の居留地境界石は設置された時期が他の2つとは違うようです。では、いつごろ設置されたものなのでしょうか。

■山手資料館と開港資料館の居留地境界石は「山手居留地発足直後のもの」とされています。山手居留地が発足したのは徳川幕府晩年の慶応三年です。いっぽう、「神奈川縣」が誕生したのはその翌年の明治元年九月のことです。明治新政府の布告によるものでした。となると、今回の居留地境界石は、早くても明治になって以後のものということになります。

■そこで神奈川県立図書館が編集・発行した『神奈川県資料』を調べてみたところ、明治8年5月に神奈川縣令(現在の県知事に相当)から横浜駐在各国領事にあてて、山手居留地の測量を行う旨の通達が出されていることがわかりました。この中に、測量対象の番地も列挙されており、実は、この居留地境界石が立っている番地も、そのリストに含まれているのです。


左側面■ちなみに、その明治8年のリストと敷地境界石のページに示した敷地境界石が残っている番地とを突き合わせてみると、興味深いことがわかります。山手番地と山手142番地は、その測量番地リストに含まれておらず、75番地は含まれています。ということは、7番地と142番地については、明治8年以前にすでに信頼するに足る測量が済んでいて、その際に敷地境界石も立てられていたのではないでしょうか。

上面■そう考えると、7番地と142番地の敷地境界石が75番地の敷地境界石よりも古そうに見え、石の種類が異なることも説明がつきます。また、7番地と142番地の境界石が「山手居留地発足直後」のものだとすると、142番地の境界石の裏面に刻まれている「神」の1字は、「神奈川縣」でないのかもしれません。

結論として

遠景■繰り返しになりますが、今回確認した居留地境界石は明治元年以降(下限は明治32年まで)に立てられたものであることは確実です。設置時期は、明治8年の5〜6月の可能性が非常に高いでしょう。開港資料館と山手資料館に残っている居留地境界石ほど古くはありませんが、元々の場所に残っているという点で、それらに劣らない非常に貴重なものだと思います。できれば、このままそっと残しておいてほしいと思います。
■居留地境界石は、昭和62年当時、5つが残っていたそうです。今回のものがそのうちの1つかどうかわかりませんが、今回の「発見」で、それら以外にもまだどこかに居留地境界石が埋もれているかもしれないという期待がふくらみました。

(2011年11月記)


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