80年ぶりに里帰りした横浜震災映像

本町通りの救援活動 ・・・・ hon040p


この写真の右端にある壊れた壁が露亜銀行は残った(2)の大きな写真の中央に写っているので、位置関係がわかります。これは山下町71番地のW.H.Strachan & Co.社と思われます。Strachanはストラッチャンとストローンの2とおりの読み方があるようですが、警察の資料では「ストラッチャン」と書かれています。インド系の名前です。

瓦礫の整理作業にあたっているこの一団は、やはり「露亜銀行は残った(2)」の左端にわずかに写っているのと同じイギリス水兵たちでしょう。

左奥の一風変わった建物は前にも述べた中央電話局。震災当時、竣功間近でしたが、震災で焼け、震災後の都市計画で本町通りを拡張したため、結局取り壊されました。1929年(昭和4年)、跡地に「横浜市外電話局」が建てられ、それが2003年開館の「横浜都市発展記念館」になりました。




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