大鳥谷戸の謎の石積み


(2003/Mar)
大鳥谷戸から西側の丘へ登る階段口に、古そうな石積みを見つけました。このあたりは、慶応年間に造られた根岸、本牧を一周する「遊歩道」から少し奥に入ったところで、明治初年の地図にも載っている旧道です。当時、この下の平地は一面の田圃でした。明治44年に横浜電気鉄道(後の横浜市電)の本牧線が開通すると、この谷戸一帯は横浜電鉄の「本牧地所経営地」として開発分譲され、住宅地に変貌しました。本牧の海水浴場に近く、住むのに閑静で、しかも路面電車で横浜の中心部まですぐに出られるため、人気を集めたそうです。
この石壁が残ったわけは、コンクリートの階段の支えになっていたことのようです。私の子供の頃、こういう石壁が随所にあって、子供たちにとって格好の遊び場になっていました。

余談だが、古老の話によると、大鳥谷戸は、かつて「あんこ屋の谷戸」と呼ばれていたそうです。よい水が出るために、あんこ屋が店を構えていたのが、その名の由来です。もちろん、いまはそのあんこ屋さんらしきものは見当たりません。

(2003/Mar)
 



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