山手・南坂、諏訪神社道


(2005/Apr)
勾配の急な南坂の本道を「男坂」とすると、ここは南坂の「女坂」かもしれません。現在「山手資料館」となっている「園田邸」は、関東大震災の後に本牧から、ちょうどこの水銀灯のあたりへ移築され、昭和52年まで、ここに建っていました。蔦などのからむにまかせて、今のようにきれいな建物ではなかったように私は記憶しています。写真右手には関東大震災後に、いかにも横浜らしく外国人向けの市営住宅が設けられました。震災で神戸などへ散ってしまった外国人を呼び戻す狙いだったといいます。


(2003/May)
明治14年頃に造られたとされるブラフ積み擁壁。風化の度合いは、それほどには見えません。白くポチポチ咲いている花はキクを小ぶりにした春紫苑(ハルジオン)です。ブラフ積みによく似合います。

(2005/Apr)
左の写真の少し手前に見られる擁壁。

(2005/Apr)
上の写真の道に沿って左側の擁壁はさらに左へゆっくりカーブしています。このあたりの石には、ところどころ黒く火であぶられたような跡が見られます。震災の火か、戦災の火か?

(2005/Apr)
擁壁が終わるところを左へ進むと、山手の本通り、貝殻坂上に出ます。

諏訪神社は12世紀末の文治三年(源義経が頼朝に追われて陸奥へ逃れた年だ)に信濃の諏訪明神を勧請したものとされていますが、明確な記録はないそうです。現在の場所に社殿ができたのは明治6年で、大正12年の関東大震災で焼失。昭和初年に御下賜材を使用して再建されました。社殿の様子は、その頃の写真とほとんど変わらないので、その当時からのものかもしれませんこのあたりの町名にもなった神社ですが、現在はかなり荒れていて、特に祭礼が行われたという話も聞きません。
補記: 2006年に社殿や周囲が見違えるほどきれいに整備されました。が、同時にとなりに住宅が建てられ、下の写真の石垣は見られなくなりました。

(2003/Mar)

(2003/Mar)



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