上野町1丁目のブラフ積み?


2004/Mar
本牧通りから北側に入ったところで、古い石積みを見つけました。ここは慶応年間に作られた外国人向け遊歩道の道筋にあたるので、もしやその頃の名残かと思いましたが、調べたら、この通りは関東大震災後の区画整理で開かれたものでした。それでも、震災直後の古いものではないかと思われます。なくなる前に写真に収めておきました。
 

真ん中の段はブラフ積みのようですが、上下の幅に対して厚みがないので、小口が古いブラフ積みのようなきちんとした正方形になっていません。震災後に大谷石で組んだブラフ積みに似ています。


2004/Mar
 
「うえのまち」 か 「うえのちょう」 か?
役所が出している町名録などでは、「上野町」の読みは「うえのちょう」となっています。しかし、この町で生まれた私や近所の人たちが呼び慣わしているのは「うえのまち」です。「神奈川県町村合併誌」(昭和33年神奈川県発行)という本で右のような記録(明治11年の郡区町村編成法の布達)を見つけたときは、我が意を得た思いがしました。「元町」が「もとちょう」であってはならないのと同様に、「上野町」も「うえのちょう」であってはならないと思います。
逆に、「石川町」が「いしかわまち」だったのは、驚きです。そのほかに、意外だった読みとしては「賑町=にぎわいまち」(これは現存しない町名)、「戸部町=とべまち」、「平沼町=ひらぬままち」、「青木町=あおきまち」などがありました。すでに地元でも「ちょう」の読みが定着している町名については、異を唱えても仕方がないでしょうか。(2005/03)
ついでに言わせてもらえば、「大桟橋」も「おおさんばし」でなく、「だいさんばし」と呼んだように記憶しています。いまは、そう呼ぶと間違いのようにされるので心細く思っていたら、「大」を「おお」と読むのは「数が多い」の意味で、「大きい」という意味では「だい」と読むのが正しいとか。納得。(2005/05) 羽衣町で育った私と同年代の友人も「だいさんばし」だと言っています。「おおさんばし」とは誰が言い出しっぺなのでしょうか。(2010/06)



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