本牧隧道(第二山手隧道)


(2005/Jan)
このトンネルは車の流れに沿って元町側から見ることにします。

と、トンネルに入る80メートルほど手前で、正統派ブラフ積みを見つけました。このあたりは、明治初年の地図では中村川(堀川)の流れが山手の丘へ深く食い込んでいたところですから、この石積みの淵源はその護岸にたどり着くのかもしれません。
市電が通っていた頃は、もっと広々とした風景でしたが、両側に建物ができて窮屈な感じになりました。トンネルの入口は補強と化粧直しが施され、とても百年近く経っているようには思えません。

(2005/Jan)

(2005/Jan)

(2005/Jan)

(2005/Jan)
トンネルの中は、まるでアートの世界です。無数のひび割れをチョークでマーキングしてあります。ちょうど、今年(2005年)トンネル内の補修工事が行われると聞きました。その準備調査の跡のようです。水漏れの跡も見えます。そう言えば、夏に市電に乗ってこのトンネルを通るとき、車窓を開けておくと、必ずと言ってよいほど上から冷たい水滴が落ちてきたのを思い出します。


(2005/Jan)
出口に残る石積み。ここから見ると石積みは10段あり、上から4段とその下で積み方が異なります。上は明らかに後から積み足したものとわかりますが、下は古いブラフ積みです。道が少し下り勾配になっているので、ここは6段のブラフ積みに見えますが、反対側から見ると(右の写真)7段あるのがわかります。

(2005/Jan)
石積みとトンネルとの継ぎ目をよく見ると、上下の石積みの傾斜角度が微妙に違っているのがわかります。下部は傾斜が少しゆるくなっています。実は、この下部7段は明治44年12月の横浜電気鉄道・本牧線開通当時の写真にも写っています。たぶん、当時のままだと思います。煉瓦造りのトンネル入口が覆い隠されてしまった現在、昔の面影を留めているのは、この石積みだけのようです。

(2005/Jul)
トンネル上の桜道から見た石積み。通行人に特に意味はありません。
(2005 年 9 月記、2011 年 1、3 月補記)



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