関東大震災前の元町?(予告編) |
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<「元町」の見立てと「?田家具店」の看板>■これは、アメリカの Chicago Daily News 新聞社(1876-1978)から流出した古写真で、裏面に上記のキャプションのほか、1923(大正12)年9月15日の日付が記入されています。しかし、震災後2週間でこのように街並みが復活したとは考えられないので、震災前に撮影された資料映像と思われます。9月15日という日付は(おそらくは関東大震災関連の記事用に)コピーされた日なのでしょう。 ■最初に見たとき、通りの道幅や人力車が店の前で客待ち?をしている繁華な様子、そして「YOKOHAMA」と写真に書き込まれていることからも、これは当時の横浜を代表する商店街だったはずで、となると元町だろうと思いました。 ■また、右端に写っている店の看板には「?田家具店」と書かれています。調べてみると、確かにこの時期、「?田」という家具店が元町に1軒だけ存在していました。その店は今も同じ場所にあり、その位置から考えると、これは元町商店街の東側(海寄り)から西側(JR石川町駅方向)を写したものになります。 <矛盾する撮影方向>■ところが、そうなると通りの突き当たりにうっそうと茂っている樹木の説明がつかないのです。これが逆に西から東を撮ったものなら、増徳院の辺りの樹木を想定できますが、その逆方向に、このような樹木が写ることは地形上考えられません。問題の家具店は、別の時期の地図では、同じ元町通りの反対側に「倉庫」を持っていたりするので、もしかすると店舗も複数あったのかもしれません。残念ながら、向かいの履物屋や雑貨店は、そうした地図にも名前が見当たらず、どちらの方向を写した写真かを判定する手掛かりになりません。 <電話帳を探せ>■そこで、さらに確証を得るために写真を拡大して調べたところ、この家具店の看板と、中央の大きな垂れ幕から電話番号を読み取ることができました。これらの電話番号から、店を確実に特定できるはずです。さいわい、横浜市の中央図書館には、震災の年の電話帳が残っています。 ■結果は、まったく予想外でした。家具店の電話番号が、思っていた元町の家具店と一致しないのです。しかも、元町の家具店の正式な商号も「?田家具店」ではなく「?田商店」です。もうひとつの電話番号は、垂れ幕に書かれている屋号(「ちち婦や」)では電話帳に載っていないため、これまた手掛かりになりませんでした。電話帳を始めから終わりまで調べれば、どこかにあるはずなのですが、膨大な時間がかかることでしょう。 <調べは白紙に...この商店街はどこ?>■結局、「元町」の先入観を捨てて、白紙の状態から調べ直すことにしました。細部を拡大すると、他にも何軒かの店の看板、電柱に貼られたビラ、「サクラビール」や「丗九年十二月」といった文字を識別できます。それらから、この商店街がどこなのかを突き止めることができればと考えています。私の知っている商店街は、ごく限られているので、この写真を見て心当たりのある方からヒントをいただければありがたいことです。(2011年11月記) |
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