■坂道と木柵の間に石を敷いたと思われる側溝が見られます。横浜・山手に多少詳しい方なら、「ブラフ溝」の名前を思い浮かべることでしょう。「ブラフ溝」(と「ブラフ積み」)の名称を提唱した昭和 62 年横浜市教育委員会発行『横浜山手 - 横浜山手洋館群保存対策調査報告書』によると、ブラフ溝は明治初期(記録が残っている最古のものは明治8年)に築造されたものが現在も数多く残っており、調査が行われた昭和 61 年当時ブラフ溝が現存していた場所として、この汐汲坂の名前も入っています。
■ただ、ブラフ溝は「厚手の板状石の中央部を丸彫に抉[えぐ]って敷き並べたもの」で、「長崎の居留地においても、横浜山手と同様の石造側溝が現存しているが、長崎の方は、石を刳ることがなく、平石を用いてV字型に敷設している」そうです。また、そうしたV字型側溝は、長崎だけでなく横浜にもあり、私自身も根岸外国人墓地で実際に見ています(「震災被災者が眠る根岸外国人墓地」を参照)。さらに、現在の汐汲坂にブラフ溝は現存しておらず、上記の調査時に現存していたという場所も、坂のもっと上の方ではないかと思われます。
■そのうえで、改めて眺めてみると、写っている側溝は丸く抉ってあるようにもV字型のようにも見え、どちらか判然としません。さて、皆さんはどちらと思われますか? (2012 年 7 月記)
※なお、この稿を作成するにあたって、文中に示した資料のほか、『横浜市史稿』、『元街の百年』、『元町一四〇年史』を参考にさせていただきました。