旧「花咲橋」電停の高架線アンダークロス |
|
■国道 16 号線の高島町交差点から JR 桜木町駅(初代横浜駅)までの約 1.3 km を一直線に走る区間は、横浜・新橋間の日本初の鉄道のために高島嘉右衛門が海面を埋め立てて造成した「鉄道遺跡」と言ってもよい場所です。 |
|
■次の絵葉書は、二代目横浜駅の駅前風景です。最初の絵葉書とは逆方向から写したものです。高い位置からの撮影なので、おそらく横浜駅の駅舎の二階から撮ったものでしょう。二代目横浜駅は改札口が二階にある、これも珍しい造りの駅でした。この絵葉書ではあまり目立ちませんが、中央に前述の立体交差の開口部が見えます。この絵葉書には大震災があった大正 12 年(1923 年)4 月の消印が押されていますが、絵葉書のキャプションに「院電高架線」の文字が見えるので、撮影時期はもう少し前になります。 |
|
■そうした 100 年近い歴史を持つ高架線と並行して行き交っていた市電が廃止されてから既に 40 年、市電の記憶を持つ市民はめっきり減りました。ましてこのアンダークロスが利用されている光景を実際に見た人は、どれくらい残っているのでしょう。私自身も市電関係の書籍を読むまで、このことを知りませんでした。ところが、驚いたことにあの立体交差の名残は、ついこの間まで一般の眼に触れる形で残されていました。以下がその写真です。 ■右と下に掲げた写真 3 枚は 2005 年 3 月に撮影したものです。もちろん高架の壁の開口部はコンクリートでふさがれていますが、高架を斜めに抜けてきた様子がよくわかります。右の壁に沿った側が南行の下り線で、手前に電車が出てくる格好でした。 |
|
■左は同じ場所の 2009 年 5 月現在の様子です。私がアンダークロスの壁を確認できたのはこれが最後で、2010 年 8 月に訪れたときには、下のように、わずかに昔の石積みが顔を覗かせているだけになっていました。 | |
■なお、この稿を作成するにあたっては、長谷川弘和さんの著書『横浜の鉄道物語』、『横浜市電が走った街今昔』(いずれも JTB キャンブックス)を参考にしました。2003 年に遺構が発見された二代目横浜駅については、『横浜都市発展記念館・紀要 No.1 2005』に駅舎の図面を含む詳しい解説があります。 |
|戻る| |このページの冒頭へ| |目次へ| |
Copyright(c) 2004,2011 fryhsuzk. All rights and wrongs reserved. |