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旧「花咲橋」電停の高架線アンダークロス


絵葉書「横浜駅前中央道路」 ■国道 16 号線の高島町交差点から JR 桜木町駅(初代横浜駅)までの約 1.3 km を一直線に走る区間は、横浜・新橋間の日本初の鉄道のために高島嘉右衛門が海面を埋め立てて造成した「鉄道遺跡」と言ってもよい場所です。

■鉄道開通後、この鉄路に沿って埋め立てが進められ、明治 37 年(1904 年)には海側にのちに横浜市電となる横浜電気鉄道が敷かれました。そして、大正 4 年(1915 年)に横浜駅がより東海道に近い高島町に移転すると、二代目横浜駅と初代横浜駅は高架で結ばれ、それに合わせて横浜電気鉄道は高架の下をくぐって山側へ移設されることになりました。

■右の写真は、その横浜電気鉄道が高架下を海側から山側へ抜ける立体交差を写した大正時代の絵葉書です。こうして絵葉書になっているところをみると、当時はちょっとした横浜名物だったのでしょうか。

■高架の上を走っているのは京浜東北線の前身である京浜線電車です。一般には、国鉄が大正 9 年(1920 年)まで「鉄道院」だった時代には「院電」、それ以後は「鉄道省」にちなんで「省線」と呼ばれていました。高架の下に穿たれたアンダークロスを、いままさに通過しようとしているのが横浜電気鉄道です。

■この地点は、市電時代に「花咲橋(はなさきばし)」停留場のあったところです。右側の人の群れはその停留場で電車を待つ人々、左端に大正 4 年から関東大震災(大正 12 年)を挟んで昭和 3 年(1928 年)まで使われた二代目横浜駅が写っています。ちなみに、二代目横浜駅の煉瓦造りの壮麗な駅舎は関東大震災で原形を留めないほど破壊され、昭和 3 年に現在の場所に三代目横浜駅が開業するまでの間、急場しのぎの改造駅舎が使用されました。その遺構が 2003 年に発掘され、一部が高島町に保存・展示されています。


絵葉書「桜木電車及院電高架線」 ■次の絵葉書は、二代目横浜駅の駅前風景です。最初の絵葉書とは逆方向から写したものです。高い位置からの撮影なので、おそらく横浜駅の駅舎の二階から撮ったものでしょう。二代目横浜駅は改札口が二階にある、これも珍しい造りの駅でした。この絵葉書ではあまり目立ちませんが、中央に前述の立体交差の開口部が見えます。この絵葉書には大震災があった大正 12 年(1923 年)4 月の消印が押されていますが、絵葉書のキャプションに「院電高架線」の文字が見えるので、撮影時期はもう少し前になります。

この立体交差が使用されたのは、大正 5 年(1915 年)から昭和 5 年(1930 年)までの約 15 年間でした。以後、市電は高島町に設けられたガードの下を通るようになり、この花咲橋のアンダークロスは解消されました。また、高架線は昭和 7 年(1932 年)に海側へ拡張され、空いた線路を東急・東横線が使うようになりました。戦後の昭和 26 年(1951 年)には、この高架上で京浜東北線電車が炎上、106 人が死亡した「桜木町事件(「毎日jp」の記事にリンク)」という大惨事が発生しました。昭和 31 年(1956 年)には東横線の複線化のために高架が山側へ拡張され、拡張部分の下が歩行者用の通路になりました。現在でも見慣れたあの通路ができあがったわけです。高架の壁にいわゆる「ストリート・アート」が描かれ、果たして芸術か単なるいたずら書きかと論議が戦わされたこともありました。


桜木町側から見たアンダークロス

■そうした 100 年近い歴史を持つ高架線と並行して行き交っていた市電が廃止されてから既に 40 年、市電の記憶を持つ市民はめっきり減りました。ましてこのアンダークロスが利用されている光景を実際に見た人は、どれくらい残っているのでしょう。私自身も市電関係の書籍を読むまで、このことを知りませんでした。ところが、驚いたことにあの立体交差の名残は、ついこの間まで一般の眼に触れる形で残されていました。以下がその写真です。

■右と下に掲げた写真 3 枚は 2005 年 3 月に撮影したものです。もちろん高架の壁の開口部はコンクリートでふさがれていますが、高架を斜めに抜けてきた様子がよくわかります。右の壁に沿った側が南行の下り線で、手前に電車が出てくる格好でした。

アンダークロスの高島町側の端

高島町側から見たアンダークロス

2009年5月の状態

■左は同じ場所の 2009 年 5 月現在の様子です。私がアンダークロスの壁を確認できたのはこれが最後で、2010 年 8 月に訪れたときには、下のように、わずかに昔の石積みが顔を覗かせているだけになっていました。

2010年8月の状態


■なお、この稿を作成するにあたっては、長谷川弘和さんの著書『横浜の鉄道物語』、『横浜市電が走った街今昔』(いずれも JTB キャンブックス)を参考にしました。2003 年に遺構が発見された二代目横浜駅については、『横浜都市発展記念館・紀要 No.1 2005』に駅舎の図面を含む詳しい解説があります。
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