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■この写真の右の道を下ったところが陣屋坂です。文久三年(1863)から明治八年(1875)まで、このあたり一帯に英国軍の陣営があったために、この名が付きました。この写真は明治末から大正初め頃の絵葉書で、左側の建物は米国海軍病院、中央の奥が谷戸坂上の英国海軍病院。外人墓地の門前から現在の港の見える丘公園の方を撮したものです。これらの建物は、ことごとく関東大震災で崩壊、焼失しました。
■右端の家の生け垣は土台がブラフ積みのように見えます。短辺に白っぽい石を使っているのは、意図したデザインでしょうか。この右のほうにも同じような石積みが続いていたはずです。 |
2003/May
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■上の写真の現在の様子です。米国海軍病院の跡地には税関職員宿舎と、この写真には写っていませんが横浜地方気象台が建っています。右の民家のあったところには、インターナショナル・スクールの敷地になりました。では、右へ下ってみましょう。 |
2003/Jun |
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■ここは上の写真のすぐ下なのですが、残っている石垣はブラフ積みではありませんでした。震災直後に英国海軍病院側から撮した写真では、このあたりの建造物は、ほとんど原形を留めていません。あるいは、ブラフ積みの石積みはそのときに崩れ、震災後に、このような修復が行われたとも考えられます。 |