ビヤ坂の巨大石碑

北方(きたがた)小学校から本牧通り方向に向かってゆるやかに下るこの坂は、キリンビール発祥の地です。右の写真の左手一帯に、関東大震災までキリンビールの工場がありました。古くはノルウェー生まれのアメリカ人、W.コープランドが明治3年(1870年)に Spring Valley Brewery というビール工場を設立した土地です。(2003/03)
最大と言った手前、実際に石碑の大きさを測ってみました。厚さが約60センチ、横幅約275センチでした。建立当時の尺度で言えば、厚さ二尺、幅九尺ということでしょうか。高さは、残念ながら石碑に登らずに測る方法を知らないので、大ざっぱな目測です。6〜7メートルといったところでしょうか。石の種類は、残念ながらその方面に疎いので、まだ何とも言えません。(2003/06)
坂の途中にある「麒麟園公園」にそびえるこの石碑は、キリンビールが会社設立30周年の昭和12年(1937年)に建立したものです。同年11月26日午後4時から盛大に除幕式が行われた、と横浜貿易新報に書かれています。これは、横浜の中心部ではもちろんのこと、横浜市全域においても最大の石碑だと思うのですが、その割に、ほとんど注目されることがありません。約50年前、学校帰りに毎日のようにこの公園で遊んだ私としては、非常に残念です。そう言えば、ここで野球をしていて、私が放ったバットが友達の鼻に当たって怪我をさせてしまったことがあります。彼の鼻には、いまもその傷が残っているはずです。ごめんなさい、湧井君。

追記: 建立当時の新聞記事には、高さが「三丈余」、つまり9メートル余りと書いてありました。少し大きすぎる感じがするのですが、台座を含めての高さかもしれません。


その後、震災前のビール工場を写した絵葉書を入手しました。上がそれです。昔の地図と見比べてみると、ここに写っている門柱の位置は、ちょうど麒麟園公園の門柱(上の写真で人が写っている)と同じところのようです。このレンガ造りの建物は地震で完全に崩壊しました。その後、キリンビールの工場は、ここが手狭な場所でもあったせいか生麦へ移転し、ついにこの地に再建されることはありませんでした。 坂を下りきったあたりで、たまたま家を建て替えているのに出会いました。そこで目を皿にしてみたら、古い赤煉瓦の残骸が見つかりました。これはビール工場の名残かもしれない。いや、それに違いないと、勝手に思い込むことにしました。が、いまはこれも撤去されてしまいました。(2003/03)


工場跡とは反対側に残っている石積みです。昔はこの道の両側に、このような石垣が並んでいたのですが、いまは、ここ1箇所にしか見られません。なお、これはブラフ積みではありません。(2003/09)
これは、ビヤ坂の東側に出る道にある石積み。ビール会社の南門の跡だといわれています。市電のキリンビール引き込み線は、このあたりから電車道へつながっていたのでしょうか。この石積みは下部がブラフ積みのようです。(2003/03)



Copyright (c)2005 fryhsuzk. All rights and wrongs reserved.