■山手本通りのちょうど真ん中あたりに位置する代官坂は、古くは「箕輪坂(みのわざか)」と呼ばれ、元町から山手本通りへ上る坂でした。明治の初年、坂上の一帯に土地を持っていたオランダ人篤志家ヘフト氏が、自分の土地を削って道幅を広げたことから、「ヘフト坂」などとも呼ばれていたといいます。
■昭和7年に坂の途中に「代官坂トンネル」(正式には「代官隧道」)が開通し、かなりなだらかな感じの坂になりましたが、その脇に残る旧道は、昔日の急坂をしのばせます。右の写真はトンネルの上にあたる代官坂上の様子を山手本通りの東側から西側をながめたところです。
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(2004/03) |