(2002/Dec) |
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■左の写真は麦田側の入口です。手前のアーチ型陸橋は「桜道橋」で、山手1番地から上野町へ通じる桜道(さくらみち)がこの上を通っています。下の写真は開通後間もない昭和2〜3年頃の絵葉書です。関東大震災でトンネル上の山手の外国人住宅がほとんど壊滅した後ということで、山上に再建された家もまだ少ないようです。
■トンネル本体の外壁に埋め込まれた銘板(下の写真)には昭和2年12月竣工と刻まれていますが、このトンネルの開通を昭和3年3月とする資料もあります。どちらが正しいのか疑問に思っていましたが、本牧に住む須藤禎三さんが丹念に昔の新聞記事に目を通して抜粋した『横浜貿易新報に見る昔の本牧』という冊子で疑問が解消しました。それによると、昭和2年の歳末の交通繁忙に間に合うようトンネル本体工事を優先させ、年内に一般の通行も許しましたが、正式な開通式は桜道橋完成後の翌年3月16日に挙行されたためです。なお、この稿は須藤さんの著書に依るところが大きく、須藤さんのご労作に改めて感謝します。
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