山手震災痕めぐり第2番札所 |
英国海軍病院の断崖■フランス山公園入口から、そのまま坂上を進んで左に折れると港の見える丘公園です。ここは開港期からずっと英国海軍病院のあったところです。大地震の後に発生した火災は、先程のぼってきた谷戸坂と、山手本通りの外人墓地方面、そしてこの先にある諏訪町方面の3方向から避難民をこの切り立った断崖の上へと追い詰めました。なおも迫り来る火の手から逃れるため、人々は海軍病院の敷地内にあったテニス・コートのネットを崖から垂らし、それを頼りに、当時埋め立てが終わったばかりの新山下地区への脱出を図ったことが、O.M.プール著「古き横浜の壊滅」に書かれています。
■いま「港の見える丘公園」の展望台から下を見ると、とてもテニスのネットや結んだベッド・シーツなどで降りられるような高さではありません。上の写真は 2004 年に撮影したもの。現在は、安全を考えてか、生け垣で下は見えません。
■O.M.プールの手記をよく読んでみると、この英国海軍病院の敷地は「段々庭(原文は terrace)」になっていて、その「第三段目の段々庭」が最後の崖っぷちだったとあります。たしかに展望台からこの公園内を神奈川近代文学館の方へ歩いてみると、段階的に低くなっています。近代文学館の前庭にある千鳥坂のあたりからなら、なんとか下へ降りることもできそうな感じです。下は千鳥坂からの現在の写真です。
■千鳥坂は、当然ながら震災後に造られたものです。最近新たに整備されましたが、それ以前は次の写真(2004年撮影)のように、山側にブラフ積みのあるうら寂しい坂でした。
■O.M.プールたちが新山下地区へ降りた明確な地点までは特定できませんが、一応ここを第2番札所とします。(2013/02記) |
|次の札所へ| |戻る| |地図へ| |
Copyright(c) 2013 fryhsuzk. All rights and wrongs reserved. |