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山手震災痕めぐり

第8番札所

チェリー・マウント・ヒル跡

■山手 80 番館の脇からエリスマン邸を抜けて、再び山手本通りへ出ます。右手のベーリック・ホールのブラフ積み擁壁の前を通って西へ向かいましょう。ここからは少し長く歩きます。
代官坂との合流点を過ぎ、汐汲坂を過ぎると、外人墓地のところで触れたカイパー女史のフェリス女学院の校舎が続きます。その先にある現在の中央大学附属横浜中学校・高等学校は、震災時に元街小学校の三代目の校舎があったところ、これまた震災で倒壊焼失しました。山手は、そこら中が多かれ少なかれ震災ゆかりの土地です。
■その2つの学校にはさまれた場所は、かつてチェリー・マウント・ヒルと呼ばれ、震災時にチェリー・マウント・ホテル(桜山ホテル)が建っていました。現在フェリスの生徒の通学路のようになっている西野坂とその1本南寄りのつつじ坂にはさまれたところです。次は、そのつつじ坂側の写真。

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O.M.プールの『古き横浜の壊滅』(金井圓・訳)は震災直後の光景を次のように述べています。「チェリー・マウントがそこにある山の肩は、すでに元町のほうへなだれ落ちており、ホテルの半分もそこへまきこんでいた。階段のある道が険しいV字型の山あいを登っていくあたりには、幅広い地すべりのため、ずるずるすべりそうな傷跡以外には何も残っていなかった」――これは元町に近い西野坂側の様子を描いているようですが、これを偲ばせる面影が現在はつつじ坂側に残っているので、ここを第8番札所としました。なお、桜山ホテルは6棟のうち木造3階建て1棟が崩壊して他は傾斜し、従業員と客の計5名が圧死、その後、近隣からの火災で類焼したということです。
■次の写真は、上の写真の右下に写っている古いブラフ積み? を 10 年前に撮影したものです。現在はあまり見られなくなってしまいましたが白く点々と見えるのは貝殻で、かつてこのあたりが貝塚だったことの証左です。開港後の一時期、清国人墓地として供されていたこともあり、この場所は非常に興味深いところです。ただし、この石積みが関東大震災の崩落跡かどうかは判りません。

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■むしろ、少し下にある次の擁壁の方がその可能性が高いようです。全体が大きく傾斜しています。

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■実はこのスポット、知る人ぞ知る富士山撮影スポットでもあります。毎年 10 月頃の夕方には美しい富士山のシルエットが見られます。ただし、近隣の民家に近いところなので、くれぐれも地元の生活の平穏は乱さないようにご配慮ください。

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■坂をこのまま下ってゆくと元町商店街入口に出ますが、今回は引き返して山手の本通りへ戻ります。次の第9番札所は山手震災痕巡りのクライマックスです。(2013年3月記)
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