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ビヤ酒通りに眠る関東大震災の痕跡 |
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諏訪町のビヤ酒通り(2015年2月撮影) |
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■JR根岸線の山手駅を出発した20系統の横浜市営バスは、本牧通りに出て北方(きたがた)小学校入口の交差点まで進んだ後、左折してこの諏訪町通りに入ります。ここは、私の小学校時代の通学路でした。この坂を登り切ったところにある北方小学校から写真右側の坂下にかけての一帯には、明治3年から大正12年9月の関東大震災まで、W.コープランドが設立したスプリング・バレー・ブリューワリーに始まり、後のキリンビールに至るビール醸造工場があったことから、この坂には「ビヤザケ(ビヤ酒)通り」の名が付いています。 ■このビヤ酒通りの上からキリンビール工場の関東大震災による被災状況を撮った写真が、ハワイ大学マノア校図書館のWebサイトで2018年に公開されました。ここでは、その貴重な映像を手掛かりに、関東大震災と現在をつなぐ震災の痕跡を探してみます。 |
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キリンビール天沼工場の被災写真
Kirin Brewery. Yokohama. View from Marshall Martin's
House ■眼下の廃墟が八千坪を有したキリンビール天沼(あまぬま)工場の敷地です。中央に建つ塔状の建物はビール工場の「乾燥室」で、鉄筋コンクリート造りであったために倒壊は免れたものの、内部は他の建物と同様にすべて焼失しました。その向こうに広がっているのは千代崎町、上野町、西之谷などの街並みです。『横浜市震災誌』によると、これらの地区は地震による家屋の倒壊と火災によって「ほとんど全滅」という大被害を受けました。しかし、それにしては家々の復旧がかなり進んでいるようにも見えます。震災直後というより、少し時が経ってからの写真かもしれません。 ■興味深いところをもっと拡大してみましょう。 | |
ビヤ酒通りを下る |
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■元写真の中央右端を拡大すると、ビヤ酒通りを上から下ろうとしている人(1)が見えます。荷を背負わせた馬か牛を曳いているようです。この坂は工場の残骸に隠れてしまっていますが、その先の屋根が白く光っている民家(4)のところまで続いています。 ■坂の右側の丘一帯(2)はフランスのサン・モール財団が経営する修道院と「紅蘭女学校」(現在の横浜雙葉学園)、その付属小学校、在日外国人子女のためのサンモール・スクール、孤児救済を目的とする学校「菫女学校」などが軒を連ねていました。いずれの建物も地震と火災によって原形をとどめておらず、瓦礫の一部が崖の途中まで崩れ落ちたままの状態です。 |
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■崖から立ち上がっている高い樹木(3)はスダジイの木でしょうか。これらの木は右に示した明治40(1907)年頃のキリンビール工場の写真にも右端に写っています。しかも、驚くことに現在もこの場所には同じような木が存在します。土地利用が難しい崖地であることから伐採もされず、ずっと自然放置されてきたようです。同じ木が命を長らえてきたなら、樹齢は120年を超えているでしょう。もちろん、私の小学生時代にも毎日目にしていました。 |
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■左の写真は逆方向から2023年に撮ったこの老樹の偉容です。実はこの木の根っこの方には、関東大震災当時のサンモール・スクールのものと思われる瓦礫が埋まっており、覆っている土が雨で流されたりすると、それらが長い眠りから覚めて姿を現すことがあります。 ■下の写真は2020年に見つけたその一例。画像にカーソルを置くと「ALF」という文字を読み取ることができ、明治十年頃に現・元町公園内にあったアルフレッド・ジェラールの工場で生産されたフランス瓦(II型か)の破片と思われます。
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■ちょうどこの大樹の向かい側あたりに、関東大震災まで左のようなキリンビール工場の表門がありました。震災でビール工場が生麦へ移転した後、跡地一帯は瓦礫を埋めて宅地として造成され、かつて2〜3千人の従業員で賑わっていた場所は、閑静な住宅地に変貌しました。そして、さらに長い年月を経て、2011年4月、それらの住宅の立て替え工事で、埋もれていた瓦礫がほぼ90年ぶりに掘り出されたことがありました。
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■(5)のアーチ型の窓があったあたりから、同じような反りのあるレンガ構造が出土しました。これらの瓦礫は簡単な調査の後、そのまま埋め戻されたと聞いています。したがって、これから後も近隣の住宅の建て替えに際して、これらの瓦礫が姿を現す可能性があるのかもしれません。 ■なお、このページで採り上げたハワイ大学の写真は、英文キャプションに記されているとおり、Marshall Martin(マーシャル・マーテン)の家から撮影されたものです。この人物は昭和33(1958)年の開港百年祭でJ.C.ヘボン、H.S.パーマーと並んで横浜の物故功労者として選ばれた3人の外国人のひとりです。本サイトの「M・マーテン邸跡」のページで詳しく紹介しています。また、キリンビール工場の跡地に設けられた通称「キリン公園」については、「ビヤ坂の巨大石碑」をご覧ください(2025年11月記)。 |
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