風車の設置は明治44年?- 「ヴィラ・サクソニア」新映像発掘 |
||
|
■「『ヴィラ・サクソニア』の風車跡」のページで最初に示したヴィラ・サクソニアの写真(「根岸町麥田方面」)は『横浜電気鉄道株式会社新線路写真帖』という写真集からのものです。この『写真帖』は明治44(1911)年に延伸・開通した横浜電気鉄道(後の横浜市電)の新線について、その開通前と後の沿線の写真を対比させたもので、当時の沿線の生活風景が垣間見える大変貴重な史料です。 ■そして今回6年ぶりに改めて『写真帖』を横浜中央図書館で閲覧し、さらに1つの「ヴィラ・サクソニア」映像を発掘することができました。左は、そのきっかけとなった写真「本線敷設前ニ於ケル根岸町麥田地方ノ景」(以下「麥田地方ノ景」と略)です。 ■この写真は前記の「根岸町麥田方面」と対をなすものですが、「根岸町麥田方面」が現在の本牧通りから撮影したものであるのに対し、この「麥田地方ノ景」は、それより少し北側の、本牧通りを横切るように走っている山手・桜道から撮影されています。撮影者は電車線の開通工事前に、電車専用の「本牧隧道」(現在の「山手第2トンネル」)の掘削予定地付近から写したものと思われます。撮影方向は、どちらの写真も同じ、南東方向でしょう。 |
|
■それならば、遠景にヴィラ・サクソニアが写っているはずです。そう思って遠景に目を凝らすと、それらしい建物がありました(上の写真にマウス・カーソルを置くと丸が表示される建物です)。第四のヴィラ・サクソニア画像の発見です。 ■さいわい、高解像度の画像を入手できたので、拡大して調べてみると、意外なほど鮮明にヴィラ・サクソニアの姿が浮かび上がってきました。下の画像がそれです。参考のために「根岸町麥田方面」の写真も右側に再掲しておきます。同じ建物であることが判ります。 |
||
■ところが、不思議なことに「麥田地方ノ景」のヴィラ・サクソニアには風車らしきものが見えません。さらに拡大し、画像処理を加えてコントラストを強くしてみると、「震災直後の『ヴィラ・サクソニア』」で触れた風車小屋らしき建物の屋根が写っており(写真の(A))、何かぼやけた影(写真の(B))が見えるのですが、風車にしては高さが足りませんし、風車を支える櫓らしきものも確認できません。高さが二十数メートルもあったという大きな構造物がまるで写っていないのは大変不可解なことです。ひょっとしてこの時点では風車がまだ存在していなかったのでしょうか。 ■仮に、この写真の時点では風車がまだ造られていなかったとすると……。 ■本牧隧道が貫通したのは明治44(1911)年7月1日(当時は開港記念日でした)で、起工から59日目であったことが、本牧在住の須藤禎三さん編集・発行の「『横浜貿易新報』に見る昔の本牧」に記載されています。また、本牧線の営業開始は同年12月26日です。したがって、「麥田地方ノ景」の撮影は明治44年5月3日以前、「根岸町麥田方面」は新線の営業開始直前の12月下旬ということになります。「麥田地方ノ景」が5月3日よりどれくらい遡るかは判りませんが、『写真帖』の写真が工事用の記録として撮影されていることを考えれば、明治44年5月からそれほど時間的に隔たっていないと判断してもよさそうです。そうなると、ヴィラ・サクソニアの風車は明治44年に建造された可能性が出てきます。さらに、風車はなくても「風車小屋」が写っているので、「麥田地方ノ景」の撮影時、ヴィラ・サクソニアではちょうど風車を建設中だったというドラマチックなことになります。さすがに、そこまでゆくと出来すぎた話になってしまいますが、この写真だけから考えると、そんな推測も頭から否定できないような気がします。いずれにしろ、いつも意外なところから姿を現すヴィラ・サクソニア、風車については、なかなか尻尾をつかませてくれません。 ●その後の調べで、この明治44年は「前例ナキ六月の颶風」(神奈川県測候所の報告書タイトル)に見舞われた年であることを知りました。颶風(ぐふう)とは現在の台風のことですが、6月19日に風速30メートルを超える猛烈な風、また6月28日夜半にも風速20メートルを超える非常に強い風に見舞われました。これらの強風のために風車が被害を受け、ちょうどその頃に上の写真が撮られたと考えると時期的にもつじつまが合いますが、それよりもっと前の台風や強風で一時期、風車が姿を消していた可能性もあります。フェリスの風車は明治33(1900)年の台風で壊れたそうです。ヴィラ・サクソニアの風車もたびたび台風などで被害を受けていたのか、あるいは、フェリスの轍を踏まないよう、嵐の前には一時的に取り外して難を避けていたのでしょうか。(2010年9月追記) |
||
■99年後、2010 年の「麥田地方ノ景」です。矢印の先がヴィラ・サクソニアがあった場所です。風車は、そのすぐ右側の小さく木が茂ったところに立っていたと思われます。ただし、この写真の撮影地点は「本牧隧道」(山手第2トンネル)ではなく、「山手隧道」(山手第1トンネル)の上です。この桜道からヴィラ・サクソニアのあった場所へ視線を走らせた場合、なぜか山手隧道の方が「麥田地方ノ景」の写真に合っているようなのです。もしかして、本牧隧道は当初、のちに造られた山手隧道の位置に計画されていたのでは...と、ヴィラ・サクソニアから、また新たな妄想の種をもらいました。(2010年6月記) |
||
|
|戻る| |このページの冒頭へ| |目次へ| |ヴィラ・サクソニア…1|…2| |
Copyright(c) 2004,2010 fryhsuzk. All rights and wrongs reserved. |