古壁の鬼籍(1)
このページには、現在では見られなくなった「古壁」の在りし日の写真をまとめてあります。ここ数年、撤去されたり新しい建物の陰に隠された「古壁」が目立ちます。(2007年2月記)
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山手・畑町の石塀
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(2005年4月撮影)
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2006年末か2007年始めに撤去され、右端にあるような金網のフェンスに。
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山元町5丁目の古擁壁
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(2004年4月撮影)
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旧根岸競馬場へ向かう道筋にあったが、2007年始めに撤去。積み方は小口・長手・長手の「・--」タイプだった。
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山手・公園坂下のレンガ塀
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(2002年4月撮影)
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山手公園から下った駐車場に残っていた古い塀だったが、2006年に住宅建設で本体部分が解体撤去された。2007年2月現在、両端の部分だけが残存する。
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ジェラール瓦工場跡付近のレンガ積みと石擁壁
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(2004年8月撮影)
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元町公園近くにあるレンガ壁と石の擁壁が融合した不思議な構造物だったが、ジェラール工場との関係は不明のまま2006年(時期不明)に建物ごと撤去されて駐車場に。
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山手・撞木町のブラフ積み
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(2003年5月撮影)
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更地にこの擁壁だけがポツンと残っていたが、2006年5月、新築工事のため解体撤去。
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ビヤ坂下の古擁壁
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(2003年9月撮影)
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この近くに残る最後の古い石積み擁壁だったが、2006年1月、住宅の建て替えに伴い撤去。
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旧鉄砲場付近の石積み
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(2003年9月撮影)
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2006年夏、住宅の建て替えに伴い撤去。慶応年間に近くにあった鉄砲場(現・大和町)との関係はわからない。
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谷戸坂下・製氷工場跡のレンガ壁
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(2004年3月撮影)
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2000年に解体された製氷工場跡に、古くから残っていたと思われる古壁が一時的に姿を現したが、2004年夏に建てられた結婚式場の裏に消えた。残っているのか撤去されたのか不明。
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山手・諏訪神社のブラフ積み
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(2003年3月撮影)
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長く駐車場だった土地に住宅が建設されたため2006年に公道の視界から消える。壁自体は残存していると思われる。
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山手・南坂の大ブラフ積み擁壁
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(2002年4月撮影)
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マンション建設のため2003年12月から2004年1月にかけて解体され、新たなブラフ積みに。
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山手・代官坂上南東側擁壁
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(2003年3月撮影)
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2003年2月〜11月に実施された横浜ユニオン・チャーチの新教会建設に伴い撤去。
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谷戸坂のブラフ積み
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(2003年2月撮影)
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駐車場だった土地に建ったビルの蔭に隠れて公道の視界から消える。壁自体はモルタルを吹き付けて残存か。
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千代崎川・上野橋の東側欄干
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(2003年3月撮影)
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上の写真撮影後、2004年3月までの間に撤去。この橋は関東大震災復興事業の一環として、東隣の中野橋などとともに昭和3(1928)年2月に竣功した。
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千代崎川・上野橋の西側欄干
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(2004年4月撮影)
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2009年春(5月?)、下水道整備工事に伴い撤去。これで上野橋は齢81年で橋としての存在を終えた。図らずも、このページに左の写真と一緒に並ぶことになり、往時の姿が復活した。
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茶色のジェラール瓦V型破片
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(2007年3月撮影)
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山手・撞木町の民間駐車場で金網越しに見かけたジェラール瓦V型。V型は大半が黒で、茶色は珍しかったが、上の写真撮影後、2009年始めにいずこかへ除去された。V型特有の刻印「A.GERARD'S STEAM TILE & BRICK WORKS」に注目。
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西区・花咲町団地のブラフ積み擁壁
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(2005年3月撮影)
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2010年8月たまたま近くを通ったときに撤去を確認。このブラフ積みについて稿を起こす前に撤去されてしまった。
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千代崎川・五月橋
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(2003年2月撮影)
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昭和30年代に暗渠化された千代崎川沿いに残っていた一連の橋も、2010年秋から暮れにかけての下水道整備工事によってすべて撤去された。これはそのうちのひとつ。太平洋戦争末期、昭和20年5月29日の横浜大空襲による焼夷弾爆撃の跡を伝える「戦争遺跡」でもあった。
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千代崎川・西ノ谷橋
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(2009年6月撮影)
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五月橋の東隣にあった西ノ谷橋は五月橋(および、私が子供の頃にはすでに欄干部分が撤去されていた立野橋、大和橋)と同じ様式で造られていて、よく原型を留めていたが、やはり2010年の下水道整備工事で撤去された。これらの橋については「千代崎川七橋」の項もご覧ください。
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千代崎川・中野橋の西側欄干
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(2004年4月撮影)
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2010年の下水道整備工事で撤去。前年に撤去された西隣の上野橋と双子のような橋だった。どちらも晩年はゴミ置き場として地域に奉仕した。
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旧「花咲橋」電停の高架線アンダークロス
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(2009年5月撮影)
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2009 年 5 月から 2010 年 8 月までの間にコンクリートで遮蔽され、一部が視認できるのみとなった。本編の「旧「花咲橋」電停の高架線アンダークロス」の項もご覧ください。
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