<整理された墓標>
■これは「英国領事館の鎮魂(1)」と同じ英国領事館(現・横浜開港資料館)の敷地内から撮影された写真ですが、墓標や敷地内が整理されていることから、何日か後のものと思われます。2011年夏にイギリス人収集家から入手しました。写真の裏面は正半分に仕切り線がある絵葉書の体裁になっており、鉛筆で上記のように「ホーキンス号の兵士によって発見され、埋葬された遺体」と書かれています。ホーキンス号は英国がいちはやく救援活動に送り出した中国艦隊旗艦です。海外で多数流布した震災直後の横浜の写真は、この船の乗組員によって撮影されたものが少なくないようです。
<墓標に記された職員名>
■O.M.プールの「古き横浜の壊滅」にも書かれているように、英国領事館とその近くで発見された被災者の遺体は、一時的にこの領事館敷地内に埋葬されました。手前から2つ目の墓標右上に、「鎮魂(1)」の写真にもあるヘイグ横浜副領事(William Haigh)の名前が見えます。この墓標に書かれている4人は東京の英国大使館または横浜の領事館の英国人職員です。一番手前の墓標にはM.Maruyama、T.Mitsuhashiという日本人名が記されています。この2人は英国領事館の日本人スタッフと思われます。
■M.Maruyamaは丸山昌言(まさのぶ)氏で明治43年の横浜人名録に「英国領事館員」として名前が載っています。長年、書記(ライター)として領事館に勤務していた人物です。この後、遺骨は出身地である栃木県・壬生へ移されました。「英国領事館の鎮魂(2)」に、仮埋葬に立ち会う遺族の姿が写っています。※